「そっとしておいて」の真意
「そっとしておいて」
この言葉を聞いたら、あなたは文字通りそっとしておきますか、
それとも裏の意味を汲んでアクションを起こしますか。
この言葉を人生の内に使ったこと、耳にしたことがある人はかなり多いのではないかと思います。
今日はこの言葉にまつわる話を綴っていこうと思います。
なぜこのフレーズをテーマにしたのか、それは今日の講義である話を聞いたからです。
私は現在、中国語を学んでいます。先生はネイティブの方です。
その先生は中国語の知識だけでなく中国人と日本人の文化の違いなども実体験を踏まえて伝えてくださいます。そんな先生の口から飛び出したのが
「日本人はなぜそっとしておくの?!本当にそっとしておいてほしいの?!?!」
という言葉でした。
先生のもとには中国語を習いに来ていた日本の有名企業で働く会社員の生徒さんがいた
そうです。その方はとても勉強熱心で平日は会社に出勤し、休日に毎週何時間も勉強を
していたそうです。その後転勤が決まり、その習い事の場所から遠方に住むことになっ
ても1時間ほどかけて通っていたそうです。ある日その生徒さんが1か月経っても、連絡
もなく先生のもとに来なくなってしまいました。心配になった先生は生徒さんの知り合
いに連絡を取り事情を聞いたそうです。すると生徒さんは重い病気にかかり、入院して
いるとのことでした。先生はお見舞いに行くために生徒さんの知り合いに病院の場所な
どを聞きましたが、
「そっとしておいてあげてほしい」
と言われ、お見舞いには行けなかったそうです。
結局生徒さんの病状は良くならず、先生が会いに行けないまま亡くなってしまったそうです。
先生はこんなことも話していました。
お見舞いに行くのはあなたのきれいな顔を見たいわけではない、やつれてしまったり、今までと違う様子になってしまうのは承知の上。その上であなたに会いたい。励ますとか元気づけたいとかではなく、ただあなたに会いたい、あなたと会って話がしたい。
「そっとしておいて」
この言葉は、時と場合またその人との関係など様々な要因が絡み合って複雑な意味を持つのだと思います。
このエピソードの中の生徒さんやその知り合いの方々と先生の関係は深く知らないので言った人の真意を断定することはできませんが、ここからは私の体験に基づく話をしていきたいと思います。
それは私の祖母の話です。
私の祖母は去年癌のためこの世を去りました。
祖父母の家は隣にあったのでよくお菓子をもらったり、こたつに入って一緒にテレビを見たりしていました。何よりほぼ毎日作ってくれる煮物やカレー、餃子など祖母の味が忘れられません。そんな祖母は交友関係も広く、毎年一緒に旅行に行く友人もいたようです。祖母の体調が悪くなり、入院をするようになってから私は、私の両親の間で祖母の入院を誰に、どこまで伝えるのかという話題がなされるのをちらと耳にするようになりました。後から聞いた話ですが、祖母は周囲の人に自分の容態が知られることを拒んでいたようです。そのため病院を訪れるのは、近い身内のみでした。毎月行われる地域の会議や集まりに顔を出さなくなった祖母を心配して祖父母の家を訪れてくれた近所の人にももしかしたら(私は直接聞いていないし、対応もしていないので)
「そっとしておいてください」
という(ニュアンスの)言葉をかけていたかもしれません。かなり長い期間入院していたので祖母の現状が広まざるを得なくなってきましたがその時期はかなり死期が近づいており、お見舞いに行きたい考えてくれた方も最後に棺桶の中で眠る祖母に会った方が多かったのではないかと思います。祖母が望むことだったので、また私にできることは祖母に会いに行くことだったので、お見舞いを拒むということに対して少し疑問はあったもののそこまで深く考えることはありませんでした。(というよりそこまで深く考える余裕がありませんでした。)
さて、本題に戻りますが
「そっとしてほしい」
の真意はいかなるものなのでしょうか。
よく漫画やドラマで彼女が言う
「もう放っておいてよ!」
不良が言う
「ほっといてくれよ!!」
いじめられっ子が言う
「そっとしておいてよ!」
これらはどれもこの後誰かがこの言葉に反してアクションを起こすことで幸せになったり、救われたりする気がします。実際言葉にするけれど、本当は心の中にひっそりと今を脱却したい自分がいるのではないのでしょうか。
人の考えていることは言動でしか判断できませんが、言動では判断できないこともあるし、もしかしたら判断できないことの方が多いかもしれません。人の心の内を覗くことができたら今ある多くの問題はいとも簡単に解決できるのでしょう。
答えは出ない問いなのかもしれません。
今の私が声を大にして言いたいのは
「そっとしておかないで!!!!!」
ということです。
今現在の私は一人で生きている感が非常にストレスです。
友達がいないわけでもないし、一人で生きるのは到底不可能なので実際たった一人で生きているわけではありません。でもなんだか一人な感じがするのです。
誰かに気づいてもらいたい、小さなことでも笑い合いたい、そう切に思います。
とにかく今は必死に生きていくしかありません。
同じ想いの人がもしいれば、
「そっとしておいて」
なんて言わずに、
「そっとしておかないで!!!!!」
と思いながら私と一緒に強く、(この言葉が重い人は)ゆるく
生きていきましょう(^▽^)/
習慣は人を変える…と思うのです。
前回の記事で私は
新たな自分に出会いたい
と考えていることを書いてみました。今回はそれに関連することです。
「新たな自分に出会いたい」ということは、
自分を変えたい
ということになるのではないかと思うのです。
つまり新たな自分に出会いたい=自分を変えたいの構図になるわけです。
さらに、自分を変えるには習慣を変えることが必要だと思うのです。
私が変えてみた習慣を3つ挙げていこうと思います。
- 普段通らない道を通る(なるべく徒歩で)
- 夜、浴槽に浸かりながら歯を磨く
- パソコンに1日1回は触れる
1つ目、今まではただ学校への往復や買い物への往復くらいでしか外に出ることはな
かったし、それにいつも時間に追われて急いで自転車に乗っていました(それも目的地
までの最短距離で)。でも以前とは違って時間に余裕ができて、ハードな運動ができな
くなった分の運動量を少しでも稼ごうと思いました。すると今まで見えていなかったも
のが見えてくるようになりました。
2つ目、なんだそれ、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが私の変化として綴って
おきますね。今まで私は洗面所で歯を磨いていました。何か変えてみようと考えるとな
ぜか浴槽で歯を磨くことを思いつきました(笑)これはちゃんと浴槽に浸かる習慣をつけ
たいということにもつながることなのかなと思います。シャワーだけで済ませることは
私の足にとっても悪影響なんですね。この「浴槽de歯磨き!」がなかなか爽快なんです
よね。体は温まっているのに口の中だけスッキリしてる感じが病みつきになります。
3つ目、今までは課題をこなすためのツールとして2か月に1回触れるか触れないかく
らいの頻度でパソコンを利用していました。大学生になる前は全くと言っていいほどパ
ソコンには縁のない生活を送っていました。そんな私が毎日パソコンに触れる生活を送
るなんて…なんだか不思議ですね。1日1回ということはできれば毎日ブログを書いて
投稿していくのが目標ということですね、頑張ります。
ここまでつらつら書きしたためてきましたが、習慣って頑張ることでも大変なことでもないんだと思います。自分の生活の中で無意識に、自然にやっていることだと思います。今はまだ自分を変えるための準備段階なのでちょっとは自分にがんばれって言いながらやらなきゃいけない時もあります。でもそれ以上に新たな発見とか楽しいっていう感情に気づけるので変わってきてはいるのかなぁと思ったりもします。
習慣が変わる→自分が変わる→新たな自分!
大学生のうちにやっておくべきことって?
新たな自分に出会いたい!
それが私のブログをはじめようと思ったきっかけです。
挨拶が遅れました。
初めまして、現役大学生のrunです。
- 何が好きと言われるとはっきり自信をもって答えられないことに苦しむ系
- 人間関係上手くいってるのかよくわからなくなっている系
- やりたいことがあるはずだけど行動できていない系
- 今まで長く続けてきたことを辞めることになり、前に進みたい系
女子でございます。
今回は4つ目の前に進むためのツールとしてこのブログを書いています。
(3つ目のやりたいことにつながるかもしれませんが…)
私はあるスポーツと中学生の時に出会いました。(そのスポーツのことはまた話せそうだったら話したいと思います。)膝の故障によって現段階ではそのスポーツを行うことも、走ることさえも容易ではなくなってしまいました。
中学生から続けてきたスポーツをバリバリとできない体になった今、
私には何が残るのか、
私には何ができるのか。
熱中していたからこそ、そこを埋め合わせる何かが必要だと悩んでいました。
何を始めようにも
「またやめることになったら?」
「人間関係はうまくいくかな?」
となかなか新たな一歩を踏み出せずにいました。
ですが大学生のうちにやっておくべきことを
キーワードに思い切ってブログの世界に飛び込んでみました!
発信力、デザイン力、対応力、文章力などなどを高めるとともに
誰かの居場所や拠り所となる、、、
そんな期待もちょっぴり込めて書いていこうと思います(^▽^)/
よろしくお願いいたします<(_ _)>